日々の喜怒哀楽を綴ります。

鳩山政権とは何だったのか?

私は、2009年9月の「政権交代」は民主党の勝利ではなく自民党の瓦解であると論じた。同時に、そのニセ「勝利」に酔い、連立などと言う馬鹿げた選択をした社民党、特に民主党にすり寄る辻元清美の姿勢を批判した。テメェの実力も客観視できない社民党は、村山・鳩山両政権に於いて、同じ過ちを二度も繰り返したのである。今回の鳩山辞任は突然でも偶然でもない。米軍基地撤去の強い意志を示した沖縄の闘いが、宇宙人をして政権の座から去らしめた。沖縄民衆の怒りが鳩山を打倒したのである。そのように書いたマスコミはゼロだった。福島瑞穂が罷免されるのは当然で、涙を流す代わりに「大臣の職に目が眩み国民の皆様を裏切ったことを自己批判します」と言えば、まだ潔かったのだが、それは無理な話…おい、お前らな、泣きゃぁエエと思とるのか、この根性なしメ!政権党を批判する前に、オンドレらの為体を見詰めろ!!体制支配の補完物と化した護憲の党(=社民党)なる「愚の骨頂」こそ、鳩山の応援団だったのだ。いみじくも社会主義政党を自認するなら、革命家の名で「二度の過ち」を総括せよ(できるものなら…嗚呼、服部よ、山内よ!)。
さて、かつて鳩山は、麻生太郎に対して「あなたは総理大臣の品格にかける人物だ」と面と向かって非難した。それは、余りにも正し言辞であった。いや、麻生太郎なる人物は人間としていかなる評価にも値しないのだから「総理大臣云々」よりも「人として真っ当でない、お前はクズだ。敢えて死ねとは言わないが政界を去れ」と罵倒し方がよかったのだが、いずれにせよ、己が吐いた言辞を我が身に浴びたのが、昨日今日の鳩山由起夫、その人本人だった。そもそも、民主党などと言うブルジョア政党は自民党の【影】以外何ものでもないのであって、バブル経済崩壊と宮沢政権当時のゴタゴタで細川政権が出来て以来、確かに政界再編は何度もあったが、真に「労働者階級の利益を代表し、広範な人民の支持で階級闘争を闘い抜く政党」は、ついぞ産まれなかったのである。日本共産党(代々木派)が自らの民族主義・議会主義・セクト主義を排し謙虚に大衆運動の渦中に身を置いたなら、はたまた、新左翼諸派が「大同小異」で団結し、全国の市民運動が広範なネットワークを創造したなら、もしも、部落解放同盟が戦闘的に反差別統一戦線を形成して、仮に、沖縄で独立政党が産声を上げたなら、ひょっとして、アイヌ民族解放の炎が再燃し、障がい者の怒りと優しさが今この社会の行く末を照らしつつ、おんな達が自立と反戦平和の先頭に立つなかで、知識人・芸術家・学者どもがこぞって反逆精神を昇華させて街頭デモを組織したなら…いかな民主党といえども、その流れに棹さしただろう。しかし、現実はそうならなかった。首切り・貧困・差別は増すばかり、保身と城内平和の傍らで"伸びたのは自殺者数だけ"…これが我々のクニ・日本の実相である。再度言う。この間、沖縄の良心だけが真っ当で、「本土・イルボン・ヤマトゥ・シャモ・内地」は反安保の「は」の字も発しない為体のままに安穏を決め込んでいたのだ。鳩山の「安穏ヅラ」こそは、その象徴である。
一言で言えば、つまり鳩山政権とは瘡蓋であった。傷は癒えてないのに瘡蓋だけがとれることはよくあることで、傷が恢復するかどうかは、生体の生理と治癒能力かかっている。
鳩山は、言わずもがな馬鹿である。麻生にもとる愚鈍である。では、その馬鹿・愚鈍を、歴史と理性の名の下で判できるのは誰だ?教えて欲しい--菅直人は羽田功の二の舞を演じるだろう。今後予想される最悪のシナリオは「民主&自民大連立」、あるいは「小沢新党」結成で民主党分裂、再びの「新党ブーム」で社共のさらなる凋落(あるいは消滅)…いずれにせよ、ファシズムへの道のりだ。

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