大日本紡績津守工場
地下鉄「大国町駅」から一駅南へ、「花園町」で降りると西へ約1キロにわたって鶴見橋商店街のアーケードが延びている。一昔前までは、天神橋筋商店街に次ぐ「日本で二番目に長い商店街」「靴の町」として賑わったが、今はかなり寂れて「シャッター街」の様相。
商店街の西端に高速道路があって、かつて此処に「鶴見橋」があった。それから先は津守商店街となり、さらに「新なにわ筋(旧大阪市電「三宝線」)」の大通を渡ると「西成高校」「西成公園」「津守浄水場」…この一帯は、1909(明治42)年にできた摂津紡績(のちの大日本紡績、二チボー、ユニチカ)の跡地。鶴見橋通りの中央部に社宅寄宿舎ができ、大正年間に入って紡績女工達の生活圏が形成されると同時に商店街が発達した。
鶴見橋が架かっていた「十三間堀川」は、1698(元禄11)年に津守新田の開発に伴って開削された人工の川。「大和川」と「木津川」の間、現在の住之江区から西成区、浪速区にまたがる約6、7kmの長さで、江戸時代から明治にかけては農業用水と作物運搬に大いに活用された。また、両岸には松や柳の並木が並び、住吉詣での屋形船がひんぱんに往来して、橋詰には蛤汁を出す茶店もあった。「鶴見橋」は鶴が飛来するのが見えたことが名前の由来だから、とても風情のある景色だったことがわかる。ところが、沿岸一帯が市街地化するにつれて、工場廃水のたれ流しやゴミの不法投棄などで十三間堀川は「悪臭を放つドブ川」と化してしまった。大阪の多くの運河が埋め立てられて、その大半は高速道路になったが、十三間堀川も大阪万博に合わせて埋め立てられ、1970(昭和45)年には「阪神高速道路15号堺線」が建設される。しかし、この道路の振動・騒音・排ガス公害に対する住民からの苦情は絶えず、未だに年中補修工事をやっている有様だ。
さて、東京オリンピックで金メダルを獲得し「東洋の魔女」の異名をとった日本女子バレー、その主力は「二チボー貝塚」の選手達だった。「バレーボール」は、24時間三交代制の過酷な労働を強いられた女工たちの「健康管理」のために1920年代に導入されたスポーツだったことをご存じか?我が生地「鶴見橋」という美しい地名には、女工哀史と再開発の歪みが投影されているのである。
